近畿楽寿観音三十三ヶ寺霊場会 本文へジャンプ

真言宗御室派 京都府北桑田郡京北町上弓削上ノ段36 TEL.(075)854-0156

平安時代末開基 当時の十一面観音像祀る 大正時代以降山内整備
毘沙門天 修行大師像(厄除けのお大師)等あり


本尊 阿弥陀如来

開基 不詳

建立 平安時代末


    縁起

 平安時代末(1050年頃)三間の堂一宇を建立して三尺の十一面観音像を安置したことに創まる。この観音像は幸いにも今日まで残っている。中世寺運は一時不振であったが、天文6年(1537年)、下野足利長祐によって、薬師如来が造立された。時の往持増慶、続く秀海は、復興に努め、稲波越中守の援助もあって、寺観を整備し堂舎の修理、再建を完成することができた。

 その後、寺運は幾多の変遷があり、衰退の傾向にあったが、大正12年(1923年)豊龍僧正が普山せられ、信貴山毘沙門天御分体を拝受し、当山の復興をはかる。毘沙門天のご加護により、山内の拡張、諸堂の改築、88ヶ所の開設をはじめ、大梵鐘の再鋳、修行大師増の再建等、年と共に興隆をみるに至る。

 昭和43年には、本堂の新築、46年には、山門の新築と境内地の整備などが完成、続いて墓地霊園の開設、千体地蔵尊の建立、心経宝塔の建立がなされて、「厄除けのお大師さま」として、祈願の香煙は縷々としてつきることがない。

 


   
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