近畿楽寿観音三十三ヶ寺霊場会 本文へジャンプ

高野山真言宗 兵庫県美方郡美方町平野  TEL.(0796)97-2734

牛玉山福善寺の流れをくむ 1654年(正保2年)応教法印代に光明寺と改名
JR八鹿駅より 国道2号線長板信号左折15分


本尊 薬師瑠璃光如来座像

開基 行基

建立 平安年間


     縁起

 牛玉山慈尊院光明寺と称し、古義真言宗、牛玉山福善寺の流れで、高野山正智院の末寺である。開基については、延喜二年(九〇二)般若寺観覧僧正の開基であると伝えられているが中途にして絶えている。後年野間谷村に、古義真言宗牛玉山福善寺が開かれた。光明院帝の御代(一三四六〜一三五〇)貞和年夢窓国師の開山といわれているがつまびらかでない。永和年中(一三七六〜一三七七)に月番和尚も当寺に寓居していたことがあったと伝えられている。
 
 天正五年羽柴秀吉勢が小代谷に攻め入った時兵火によって焼かれたので、その後小庵を再建したが、乱世のため、経営困難となり、寛永十八年(一六四一)十月住持の義空が死亡した後無住となり荒廃した。平野村には現在光明寺の所在地に、朝倉高清の一族八木七郎八道見阿が父高清八道景雲の菩提供養のため、臨済宗の禅寺、大倉景雲寺を開いていた。この景雲寺も天正五年の兵火に焼かれ廃寺となった。平野村の人達が協議し、この景雲寺跡に野間谷村の福善寺の小庵を正保二年(一六五四)に移し、村岡町板仕野村の竹原山長福寺の住職、応教法印を招いて住職とし、山号はもとのように牛玉山とし、寺名を光明寺とした。

 

   
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